おはようございます。昨日は日差しは弱いが気温が上がりほぼ30度、でも夜は涼しくエアコン無しで眠れました。今日は我が家がって生まれる前ですが、グラマンの小型爆弾で燃えてしまった日です。当時の商売はつくだ煮屋で軍に収めていて、一応軍需産業だったらしい。私の父親になる長男は江田島に在学中、祖父母と親父の兄弟5人は親戚に身を寄せるしか方法は無かった。丸裸だから津波の後の私より酷い状況だった。戦後数年で我が家は再建したが、ここでも問題勃発。空襲で焼けた家の再建には大きさ制限があり、大きすぎるって事で役場が登記を拒み騒ぎになったらしい。今では想像もつまいない話である。この時に苗字の齋藤が勝手に斉藤になってしまったりで役場のいい加減さが伺われる。昭和27年に私が生まれその後にチリ地震津波が来る・・・静かに暮らせるあいだが20年と続かんわが家でございます。


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